半坡博物館は、1953年に発見された新石器時代の仰韶文化の村落遺跡(半坡遺跡)をドームで覆ってそのまま博物館にしたもので、黄河流域における比較的整った形で保存されている典型的な母系制社会の村落遺跡です。今に至るまでに6千年ほどの歴史があります。半坡博物館(半坡遺跡)は中国の陝西省西安市にあります。
仰韶文化とは、中国の黄河中流域の仰韶遺跡を基準とする新石器文化です。1921年、スウェーデン人のアンダーソンが発掘した黄河中流域の黄土地帯にある、河南省北部の仰韶(ヤンシャオ)遺跡から名付けられました。中国の新石器時代にあたる、黄河文明の指標的な遺跡とされています。特徴は赤褐色の地に紅、黒、白などの顔料で幾何学模様を描いた彩文土器(彩陶)であるので彩陶文化ともいいます。代表的な遺跡は半坡遺跡であり、前5000年から4000年頃、黄河流域に形成された新石器文化の前期に当たる文化とされています。人々はキビ、ヒエ、アワなどの雑穀を栽培し、彩陶(彩文土器)、磨製石器を使用し、竪穴住居で生活していました。
北京に語学留学中だった労働節(5月1日~5日)の連休中に西安を旅行しており、2018年5月5日に半坡博物館を観光しました。
西安への行き方
空路で行く場合:
西安咸陽国際空港(XIY)までは成田空港、関西空港、中部国際空港から直行便が運行しています。
現在は西安咸陽国際空港から西安市内までは地下鉄で繋がっているようです。2018年当時は空港から市内まではバスで行きました。
陸路で行く場合:
西安市内の高速鉄道の駅は西安北駅(西安北站)、西安駅(西安站)、西安西駅(西安西站)などがあります。北京から西安に行ったときは寝ている間に着く寝台列車を利用したりしました。
半坡博物館への行き方
最寄駅は地下鉄1号線の半坡駅(半坡站)です。西安中心地から半坡駅までは地下鉄で一時間程度です。半坡駅から半坡博物館へは徒歩9分程度です。
半坡駅↓

半坡駅から半坡博物館への経路↓

半坡博物館の観光・遺跡の解説
半坡博物館のチケット↓
北京に語学留学中で大学発行の学生証があったので学生料金で入れました。


半坡博物館の敷地入り口付近にある地図↓
遺跡は一番奥のドーム状の部分で、その前の建物では展示が行われています。

奥へと進んでいきます↓


途中の建物内での展示↓








遺跡がある建物↓

6千年以上の歴史がある村落遺跡が保存されています↓

遺跡はこんな感じです↓



地面圆形房屋(地上の円形の家)↓
これは円形の家の遺物です。壁の底は比較的良い状態で残っています。部屋の中には敷居、通路があり、通路の両側には仕切りがあります。居住面は処理されており、平滑です。室内の中部に長方形のかまどの穴があります。かまどの穴より北の2つの柱穴が発見された時、内部には明らかな木柱の模様がありました。



半地穴式方形房屋(半地下穴式の方形の家)↓
日本の竪穴式住居と似ています。
これは遺跡の中で最も良い状態で保存されている四角い家屋の基礎地です。屋基は深さ0.7メートルの土坑で、坑壁を壁として、坑の縁に屋根を架けます。斜面状の門道の両側には柱穴があり、これにより門道には戸棚が建てられていると推定されます。


瓮棺葬(甕棺葬)↓
日本の甕棺墓と似ています。
甕棺葬は当時盛んに行われていた乳幼児の埋葬方法でした。通常は棺具として陶甕や陶缶を用い、上に陶鉢や陶盆を被せます。
死体が長いためか、この甕棺は2つの陶甕を合わせたもので、隙間は陶鉢の破片で塞がれています。


带“二层台”的墓葬(「二層台」付きの墓)↓
墓穴内が二層の台になっています。
この墓の墓坑内にはわざわざ建設された「二層の台」があり、この現象は半坡遺跡で初めて発見されました。また、盛土の中には硬い土の塊が埋められており、意図的に作られたようです。
人骨注意!


未成年人二次葬和成人仰身直肢葬(未成年者二次葬と成人仰向け直肢葬)↓
これは隣接する2つの墓です。南にあるのは未成年者の墓で、中には3人分の人骨が発見され、東を向いています。出土したばらばらな骨格から、二次葬と推定されます。既知の半坡墓葬の中では、未成年者の二次葬は独特の埋葬方式です。
北には大人が仰向けになって足をまっすぐにして埋葬されています。後に破壊を受けたため、人骨はもう残ってません。
二次葬は死後一時的に埋葬(必ずしも地中に埋められるとはかぎらない)した死体を,一定期間を経た後に,掘り起こすなどして骨を洗い改葬する葬法だそうです。
人骨注意!


文化层(文化層)↓
人間が住んでいる場所や固定的に活動している場所は、通常、天然の「生土」の上に「熟土」層が堆積し、「文化層」と呼ばれ、その中には人間の生活遺留物や活動の痕跡が混じっています。もし何らかの地層の撹乱がなければ、年代の遅い層は常に年代の早い層の上に積層されています。考古発掘はこの法則に従い、地層構造によって遅い年代から早い年代へと秩序立てて暴き出しました。発掘材料に基づいて研究を行うと、遺跡の歴史を再現することができます。
半斜面遺跡の文化層には、4段階の人々の生活遺留物の堆積が含まれています。


祭祀遗迹(祭祀遺跡)↓
2002年〜2005年、新たな遺跡保護ホールの壁を作るための考古学的な整理をしている時に、意外にもこれらの祭祀の遺跡が発見されました。
新たな発見は我々に以下のようなことを教えてくれます:半坡時代の人々が立石、焼火、象徴的な土器を埋めるなどの方式で祭祀を行っていました。さらに祭祀遺跡の分布区ではいくつかの墓が発見されています。




小沟(小さな溝)↓
この2本の小さな溝は居住区にあり、溝はきちんと整って作られています。溝の用途については、まだ確定できておらず、より多くの考古資料の発見と研究が待たれています。



袋状窖穴(袋状の穴蔵)↓
貯蔵物の穴蔵は計200個以上発見され、その中には口が小さく底が大きい円形の袋状の穴蔵が多いです。これらの穴蔵の多くは家屋の周囲に点在しており、室内での発見は少なく、氏族の生産生活物資が共有であることを示しています。
これはよく保存された袋状の穴蔵です。


地面圆形房屋遗迹(地上の円形の家の遺跡)↓
この住宅の敷地には、少なくとも3回の住宅建設の過程が記録されています。完全な状態の壁の土台の柱の穴は第一回目に建てられた時の遺物です。



半地穴式方形房屋(2つ目)(半地下穴式の方形の家)↓
この家が発見された時も、依然として焼失後の状況は維持されていました。
最上層の堆積では、炭化した屋根裏が約20本あり、四方から中央に向かって逆さまになっており、屋根が「方形屋根」のような形をしている可能性が示されています。
屋内居住面の西部は東部より約0.1メートル高い平らな台であり、最古の「オンドル」である可能性があり、「土床」とも呼ばれている。
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当時の集落の模型↓

半地穴圆形房屋(半地下穴の円形の家)↓
この家の土台は地下に窪んだ円形の浅い穴です。穴の周囲には高さ約0.6メートルの板が密に並んでおり、板の内外に草ねり泥を塗って、かつて地面上の壁を形成していました。部屋にはひしゃく形のかまどの穴があります。



地面方形房屋(地上の方形の家)↓
この家の土台には12本の大きな柱があり、3両流れ造り列に整然と並んでいることから、屋根の形式が今日よく見られる両流れ造り屋根に似ている可能性があることが分かりました。壁を支える大きな柱の間には板柱が密に差し込み並べられており、柱は縄で連結された後、両面に草土を塗って壁を形成しています。家屋の地盤処理はまず地面に板を一層敷いて、その上に草泥土を塗って、それから火で焼いて、滑らかで硬い地面を形成します。


瓮棺群(甕棺群)↓
半斜面遺跡では82基の甕棺が発見され、それぞれの甕棺には乳幼児が埋葬されていた。多くの甕棺は居住区の家屋の近くに分布し、一部は群をなして分布し、残りは居住区の各部に点在している。
棺の蓋である陶盆と陶鉢の底には小さな穴が掘られていることが多い。ある陶盆の内壁には人面魚紋や鹿紋が描かれ、ある陶鉢口の縁には刻印記号がある。


大围沟(大きな囲い溝)↓
大きな囲い溝は当時の大型集落で一般的に採用されていた囲護施設でした。半坡集落のこの大きな囲い溝の開口部は幅6〜8メートル、底部は幅1〜3メートル、深さ5〜6メートルです。溝の端は居住区の内側に近く、外側より1メートル高かったです。掘削した結果、溝のまわりの長さは約500メートルであることが分かりました。大まかな推定によると、その建設には100,000立方メートル近くの土を掘る必要があります。



诸存着谷物的窖穴(穀物を蓄えた穴蔵)↓
これは袋状の穴蔵です。穴壁はきめ細かな黄土で塗られており、穴底には小さな浅い溝があり、小さな溝の用途は不明です。穴蔵の底部の直径は1.68メートルで、発掘時に穴蔵内には穀物の朽ちた殻が堆積していて、厚さは0.18メートルでした。




小女孩墓(小さな女の子の墓)↓
3〜4歳の女の子がこの土坑墓に埋葬されました。女の子が埋葬された時に玉の耳飾りをつけ、腰の周りに石の玉串が飾られていました。骨格の大腿骨上部は淡紅色を呈しており、顔料が散布されていた可能性があります。6点の陶器が副葬され、その中の1つの陶鉢は穀物で満たされていました。
半坡遺跡で唯一木板葬具が発見された墓でもあります。
この特殊な女の子の墓は当時の宗教信仰と関係があるはずです。


连通灶(繋がったかまど)↓
これは大型の繋がったかまどで、2つの形状の異なるかまど穴からなり、底には火道がつながっています。かまどの上半分はもう残っていません。
この種類のかまどは通常、大型の家に設置されており、祝典や祭祀などの行事のために食べ物を用意するのに使われたはずです。


遺跡の観光は以上です。
帰りに半坡駅に行ったら半坡遺跡の絵のタイルがありました。

