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[赤壁]三国赤壁古戦場への行き方&写真[赤壁の戦い][武漢]

咸寧市三国赤壁古戦場観光地、略称三国赤壁古戦場観光地は、湖北省咸寧市赤壁市に位置する観光地です。208年に行われた曹操と孫権・劉備の連合軍の戦いである赤壁の戦いの舞台です。「赤壁」という赤い文字が書かれた岩がある場所です。
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[西安]2020年以降の華清宮への行き方&写真[華清池]

2020年12月28日より、地下鉄1号線の西方面の終点である紡織城駅(纺织城站)から北西に向かって地下鉄9号線が営業しており、華清宮へは地下鉄9号線の華清池駅(华清池站)から徒歩6分程度で行けるようになりました。
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[西安]2020年以降の兵馬俑への行き方&写真

兵馬俑への行き方は2019年以前は西安駅の東側からから游5路(306路)というバスで終点の兵馬俑駅(兵馬俑站)まで行くという方法でしたが、2019年10月末から乗り場が変更になり、游5路(306路)バスの乗り場は地下鉄1号線の西方面の終点である紡織城駅(纺织城站)になったため、西安駅からは游5路(306路)バスでは兵馬俑には行けなくなりました。
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[西安]西安城壁を徒歩で一周した記録&写真

北京に語学留学中だった2019年1月17日に西安を観光しており、西安城壁を南側の永寧門(永宁门)から永寧門まで徒歩で一周しました。
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[西安]興慶宮公園に阿倍仲麻呂記念碑を見に行った記録&写真[記念碑場所]

興慶宮は唐の玄宗が藩王を務めていた時期の邸宅で、玄宗の即位後に大規模に拡張され、長安城の三大内(太極宮、大明宮、興慶宮)の一つとなりました。玄宗の開元、天宝時代の中国政治の中心地であり、愛妃楊玉環と長く住んでいた場所でもあります。
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[西安]仰韶文化を代表する遺跡・半坡博物館への行き方&写真[半坡遺跡][陝西省][世界史]

半坡博物館は、1953年に発見された新石器時代の仰韶文化の村落遺跡(半坡遺跡)をドームで覆ってそのまま博物館にしたもので、黄河流域における比較的整った形で保存されている典型的な母系制社会の村落遺跡です。今に至るまでに6千年ほどの歴史があります。
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[西安]青龍寺(青龙寺)への行き方&写真[空海留学先][御朱印][0番札所]

青龍寺は空海が長安に留学中に恵果和尚から密教を学んだ場所です。804年7月6日、31歳になった空海は唐へ派遣される留学生に選ばれました。空海は中国にわたり、まず三蔵法師に師事し、密教を学ぶ為の梵語に磨きをかけ、その後この青龍寺の恵果和尚を訪ねて弟子入りしました。修行開始からわずか3ヶ月で奥義を習得し、伝法阿闍梨位の灌頂を受けました。四国八十八ヶ所の0番札所にもなっています。
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[陝西省漢中市勉県]勉県武侯祠(勉县武侯祠)への行き方&写真

勉県武侯祠は中国陝西省漢中市勉県にある武侯祠です。建安二十二年(217年)から二十四年(219年)にかけて、蜀漢と曹魏はここで漢中の戦いを行いました。黄忠が夏侯淵を破ったことで劉備が漢中を奪い、漢中王になりました。
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[陝西省漢中市勉県]馬超墓祠(马超墓祠)への行き方&写真[馬超の墓]

馬超墓は馬超廟、馬公祠とも呼ばれ、後漢末年の軍閥、蜀漢の骠騎将軍馬超の墓地です。馬超墓祠全体は前後院に分かれていて、前院に本堂(信著北土)、漢中争覇展(兼資文武)、馬超生平展(一世の傑)の三殿があります。後院と前院は漢恵渠によって隔てられ、その間に石板橋が通じており、「風雨橋」と命名されています。後院は馬超が埋葬された墓地です。
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[成都]成都武侯祠博物館(武侯祠博物馆)への行き方&写真[劉備の墓]

成都武侯祠は、中華人民共和国四川省成都市武侯区にある祠堂です。三国時代の蜀の丞相・諸葛亮やその主君劉備などを祀っています。 諸葛亮を祀った「武侯祠」と呼ばれる祠堂は中国各地にありますが、その中でも有名なもののひとつです。