咸寧市三国赤壁古戦場観光地、略称三国赤壁古戦場観光地は、湖北省咸寧市赤壁市に位置する観光地です。208年に行われた曹操と孫権・劉備の連合軍の戦いである赤壁の戦いの舞台です。「赤壁」という赤い文字が書かれた岩がある場所です。
三国赤壁古戦場は中国古代の「以少胜多、以弱胜强」の7つの戦いの中で唯一原形を残している古戦場遺跡です。三国赤壁古戦場観光地は文化エリアと体験エリアの2種類のエリアがあります。文化エリアには当時、龐統が兵書を読んだ金鸞山、諸葛亮が東風を呼んだ南屏山、孫劉連合軍の最前線指揮陣地である赤壁山などの古遺跡があり、古人の足跡を辿り、孫劉連合軍が智を以って勝利した奥義を探ることができます。体験エリアのすべての建築スタイルは漢代の様式に符号するようにして作られており、その中に身を置くと、三国時代にタイムスリップしたような感覚を味わうことができます。
公式サイト↓
日本語がなんだかおかしいです。
北京の大学に語学留学中だった国慶節の連休中に武漢を旅行しており、2018年10月3日に三国赤壁古戦場を観光しました。
三国赤壁古戦場への行き方
2025年3月現在、日本から赤壁市への直行便はなさそうなので、赤壁市から最も近い大都市である武漢から高速鉄道で赤壁市まで行くのが行きやすいと思います。高速鉄道で武漢駅(武汉站)から赤壁北駅(赤壁北站)までは33〜34分程度です。

武漢駅から赤壁北駅まで往復した切符↓

赤壁北駅↓

三国赤壁古戦場の高速鉄道の最寄駅は赤壁北駅(赤壁北站)ですが赤壁駅(赤壁站)でもあまりかわりません。赤壁北駅から三国赤壁古戦場まではタクシーで45〜49分程度、赤壁駅から三国赤壁古戦場まではタクシーで49〜57分程度です。


赤壁北駅から三国赤壁古戦場までタクシーに乗ったらそのタクシーの運転手さんが「三国赤壁古戦場の周辺はあまりタクシーがいないから三時間くらいしたらまた来る」といって電話番号を教えていったので帰りも同じ運転手さんのタクシーで帰りました。親切かつ商売上手でした。
三国赤壁古戦場の観光
三国赤壁古戦場の入り口↓
この時午前11時03分でした。

チケット↓
当時大人一人150元でした。2025年3月現在は135元のようです。


入ってすぐにある神武台↓

三国古街↓

入ってすぐの広場↓
奥の塀の上のようなところが順路になっています。

聖火舞台↓

奥の池の方に寄り道したところ↓



絵が描かれた壁↓

順路(塀の上)↓

巨大ロボット関羽の像↓


鐘鼓楼↓

財神殿の主人公関羽の像↓

なぜか財神殿に張飛の像↓

なぜか財神殿に諸葛亮の像↓

鐘鼓楼と財神殿の次に三十六計があります↓
「わが国の古代の卓越した軍事思想と豊富な闘争経験によってまとまられた兵書で、中華民族の悠久な文化遺産の一つである。赤壁の戦いも一部の計略を使った。」
「根据我国古代卓越的军事思想和丰富的斗争经验总结而成的兵书,是中华民族悠久文化遗产之一。赤壁大战也用到部分计策。」

閲書亭(読書東屋)↓
「伝えによると、読書東屋は名士の龐統が兵書を読む所である。赤壁の戦いの前、周瑜、魯粛らはここで意気軒昂として存分に話し合って、才能で対局して、軍事情報を論じて、赤壁の戦いの利害を分析して、「謀をめぐらし、後方で指揮して前線の勝利を取った」に至った。」
「相传阅书亭乃名士庞统隐居阅览兵书之所。赤壁大战前夕,周瑜鲁肃等人在此豪情畅言,才华对弈。
论军情,透析赤壁大战的利弊,以至“运筹帷幄,决胜干里之外”。」


赤壁古戦場の地図↓
現在地は鳳雛庵のあたり。

鳳雛庵↓

龐統の像↓

万寿亭↓


龐統井戸↓
「古い井戸の清水が秀才を育てたが、大志はまだ実現していなくて、亡くなった。伝えによると、龐統が「鳳凰が羽を広げたら、千里も姿が見付けられない」という話がある。龐統はここで隠居して、兵書を読んでいる時、喉が渇いたら、思う存分に清水を飲むのである。後世の人は、龐統を記念するために、この井戸を建て直して、「龐統井戸」と名付けた。」
「古井清泉育英才,壮志未酬身先卒。相传对庞统有“凤若展翅开,千里难觅寻”之说。庞统隐居于此阅览
兵书口渴时,就开怀畅饮清泉。后人为纪念庞统先生修复此井命名为“庞统井”。」

龐統井戸の付近にあったそれっぽいもの↓
観光客に椅子代わりにされていました。

八卦陣↓
「八卦は『易経』から生まれて、古代の漢族の軍事布陣法である。伝えによると、諸葛孔明は九を数字の頂点にして、六爻三三派生の数字を取って発明したのである。天地開開以来、天地という二儀が生まれて、二儀が四象になって、四象が八卦(乾、兌、離、震、坎、巽、艮、坤)を生んで、八卦が六十四爻に変わって、ぐるぐる巡って、変化に富んでいる。」
「八卦源于《易经》,是一种古代的汉族军事阵法,据传诸葛亮以九为数之极,取六爻三三衍生之数而发明。自古人盘古开天辟地以来,产生天地两仪,两仪生四象,四象生八卦《乾、兑、离、震、坎、巽、艮、坤》,八卦而变六十四爻,周而复始,变化无穷。」


三国雕塑園(三国雕塑园)↓

桃園の誓い(桃園三結義)の像↓

小喬の嫁入り(小乔出嫁)の像↓

周瑜刻壁↓
「周瑜が壁を刻む塑像が生きているようで、生き生きと真にせまっている。伝えによると、赤壁の戦いで勝った後、周は満足していないから、馬に乗って赤壁山へ行き、聳えていて、気宇壮大な巨石を見たら、サーブルを出して、思う存分に「赤壁」という二字を刻んだ。」
「周瑜刻壁塑像栩栩如生,生动传神。相传赤壁大战胜利后,周瑜意犹未尽,纵马赤壁山,见一巨石拔地而起,气势雄浑、遂拔佩剑,纵情刻下“赤壁”二字。」


地図二つ目↓

なぜかここで赤壁古戦場の紹介↓
なかなかすごいクオリティの日本語訳…
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三国赤壁古戦場景勝地への簡単な紹介
三国赤壁古戦場は国家AAAA、 級の観光景地で、国家重点文化財保護団体で、国家研究学習観光模範基地で、湖北省の愛国主義教育基地で、湖北省の文化産業模範基地であり、わが国の古代の「少ない数で多くの数を勝ち、弱い力で強い勢力を倒す」という七の戦いの中で、元の様子を保っている唯一の古戦場遺跡である。赤壁古戦場は長江の中流の南岸に位置していて、北は湖北の省都である武漢に寄り、南は有名な文化の城である岳陽に臨み、地理位置に恵まれていて、交通が便利であり、長江の極めて重要な流れは境に沿って過ぎて行った。景勝地全体は古戦場遺跡と、漢代を模倣した建築群を融合させて、上品で偉くて、自然で完璧である。
景勝地の主な観光スポットには:千年の風雨を経た「赤壁摩崖石刻」、雄々しく颯爽としている「周瑜彫像」、諸葛孔明が壇を立て風を祭る「拝風壇」、龐統が兵書を読む「鳳雛庵」がある。ほかには、翼江亭、赤壁の戦い陳列館、赤壁石碑廊下、千年銀杏、赤壁塔や金城・土城などの十箇所の人文景観がある。
景勝地の組み立て施設及びサービス機能には:大型の会議センターである「集賢殿」、漢代のスタイルがある「赤壁駅站」、三国飲食文化の特色がある「御膳坊」、レジャー養生の「赤壁古泉」及び三国風情と地方の特色を再現させた大規模の実際背景演劇の公演、大型の生態駐車場、多機能の観光客サービスセンターなどがある。
「赤壁に行かないと、三国が分からない」。赤壁古戦場は今、華中地域での規模が一番大きい三国文化体験基地になった。それは三国文化観光ルートでのきらきらと輝いている真珠である。
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煮酒論英雄↓

長坂橋↓
「曹操が荊州を奪って、劉備はやむなく南へ逃げた。曹の軍隊は長坂橋で張飛に出会って、張飛はじろりと見て矛を出して、「燕の張翼徳はここあり、誰が決戦を戦って来い」と三回大声で叫んで、曹の軍隊をしかって撃退した。張飛が大声で叫んだため、夏候傑は馬から落ちて、その場でくたばった。曹操はその状況を見て、撤兵の命令を下した。」
「曹操夺取荊州,刘备被迫南逃,曹军在长坂桥与张飞相遇,张飞瞋目横矛喝道:“燕人张翼德在此!谁敢来决死战?连喝三声斥退曹军,夏侯杰被张飞一声怒吼,跌下马来,当场毙命,曹操见此情形,下令退兵。」


鳳儀亭↓
「東漢の末期、董卓が独裁して、天下のあちこちから恨みや不満が出てきて、悪賢い人を取り除くために、司徒王は貂蝉の美貌を利用して童卓と呂布の仲を引き離して、やっと呂布の手を借りて董卓を取り除き、悪者を退治した。これは司徒王が使った美人連環計である。」
「东汉末年,董卓专政,天下怨声四起,为除奸贼,司徒王允借貂蝉的美色离间董卓、吕布,最终借吕布之手除掉董卓,为民除害,这便是司徒王允使的一个美人连环计。」


骑驴过小桥(ロバ乗り小橋渡り)↓
「劉備は二度と乳明を訪れて、会えなかったが、得然橋でロバに乗って、酒を持ち詩を吟じ、雪の中を歩いてきた老人に会った。劉備は聞いてみたら、彼は孔明の妻の父である黄承彦であり、彼が吟じた詩は孔明が書いた『梁父吟』である。劉備はこれで孔明をもっと慕って期待してきた。」
「刘备二访孔明不遇,却在桥上偶遇一骑驴老者,携酒吟诗,踏雪而来。刘备上前询问得知此乃孔明岳父黄承彦,其所吟之句正是孔明所作的《梁父吟》。刘备由此对孔明更加仰慕和期待。」


空城の計↓
「諸葛孔明が北に向かって行って魏を討伐し、馬謖誤って登用したため、町亭が攻め落とされた。司馬の大軍は西城に迫って、諸葛孔明は敵に抵抗する兵がないのに、城門を大きく開けて、その上のやぐらで琴を弾いているから、司馬懿は待ち伏せがあると推測して、撤兵した。後は「空城の計」とは、ふつう自分の手薄な力を隠しごまかして、相手に惑わせる策略を指す。」(最後の文は「後に「空城の計」とは、一般的に自身の力量がないことを誤魔化し、相手を惑わす策略を指すようになった。」くらいの意味ですかね…日本語訳が微妙すぎる…)
「诸葛亮北上伐魏,错用马谡失街亭,司马懿大军直逼西城,诸葛亮无兵御敌,却大开城门,并在城楼抚
琴,司马懿疑有埋伏,遂退兵。后以“空城计”泛指掩饰自己力量空虚、迷惑对方的策略。」


拝風台↓





草船借箭の計(そうせんしゃくせんのけい)↓


巨大周瑜の像↓

赤壁摩崖石刻↓
やっと赤壁の文字のところに来ました。
「赤壁という二字は長さ(高さ)が150センチメートルで、広さ(幅)が104センチメートルである。『湖北通志』では、赤壁山が川を臨んだ磯の上に「赤壁」という二字が刻まれ、それは周瑜が書いたものである。その二字には白い符号があり、伝えによると、それは呂穴賓が刻んだ洪水の悪魔を鎮圧する符号である。」
「赤壁二字各长150cm,宽104cm。《湖北通志》载:赤壁山临江矶头有“赤壁”二字,乃周瑜所书。二字之上有一白色符号,传为吕洞宾所刻的镇压洪魔符号。」



対岸↓

翼江亭↓

赤壁大戦陳列館内の周瑜と小喬の像↓

乗馬エリア↓

乗馬エリアから順路に沿って進むと赤壁塔が見えます↓

赤壁塔付近↓



赤壁古戦場の入り口付近から見えていた水門のようなもの(呉軍水塞?地図の文字が判読できない)を裏側から見ています↓

赤壁塔からの眺め↓
7階まで登りながら撮っているのでだんだん高度が上がっています。












呉の武将・軍師の像↓






以上で観光終了です。赤壁古戦場内で最後に撮影した写真の時間が13時55分だったので順路通りに見て回ると二時間半はかかると思います。
帰り
赤壁古戦場の観光を終えて行きのタクシーの運転手さんに電話すると15〜20分くらいで来てくれました。
赤壁北駅で帰りの電車を待っている時に撮った電光掲示板の写真↓
この時15時19分でした。帰りの電車は16時30分発なので時間は十分間に合っています。

武漢のホテルに帰ってから外卖(フードデリーバリー)アプリで注文したサーモン三昧の寿司↓
この当時(地方都市なら今でもかもしれませんが)中国でまともに寿司らしい寿司はサーモン寿司くらいしかなかったのでサーモンだけの寿司を注文していました。
